#002 Ra+ 経験と芸術生産
Background
戦争経験と忘却をテーマにした映画作品
《ヒロシマ・モナムール》(Hirosima monamour, 1959)の冒頭で、
映画撮影のためにヒロシマに滞在するフランス人女性が
「私はヒロシマを見たわ」と語るのに対して、
ヒロシマ在住の日本人男性は「きみはヒロシマを見ていない」と幾度も繰り返します。
物語の後半では、女性が戦争によって恋人を亡くした過去を語り、
女性も男性と同様に否定的な態度を取ります。
経験するとはどういうことなのか?
経験していないことについて語ることはできるのか? 沈黙するべきなのか?
経験を語ることにどのような意味があるのか?
経験していないことを知ることはできるのか?
経験を語ることができない人はいないのか?
他者は理解できるのか?
理解できないとしても、いかに向き合うことができるのか?
このプロジェクトは、災害、戦争、事件、事故、歓喜、快楽などの
様々な「経験」について考え、芸術生産の可能性を探る試みです。
CONTENTS
飯島和樹(言語神経科学) | 「経験をつくる 経験についての科学」 |
飯島真理子(芸術表象) | 「経験を語ることについて」 |
石内 都(写真家) | 「ひろしま」 |
ヴィヴィアン佐藤(美術家, 非建築家) | 「マドレーヌ、Tバック、幽霊」 |
大島智子(アーティスト) | 「かわらない」 |
太田敬子(オルタナティブスペース“CAVE”スタッフ) | 「政治について私たちが語るとき、そこにまとわりつく「ヌル」について」 |
岡部あおみ(美術評論家) | 「闘いの踊り フォーサイスとニジンスキー」 |
加治屋健司(表象文化論・美術史) | 「経験を代置すること 目黒区美術館「原爆を視る 1945-1970」展の中止について」 |
兼松芽永(芸術の人類学/ 社会学) | 「しゞまに孕む」 |
川勝真一(RAD ディレクター) | 「「縮尺」という約束事を持った経験について」 |
倉茂なつ子(アーティスト) | 「ひとり遊びシリーズ#02 妄想」 |
齊藤哲也(芸術表象) | 「愛おしさへとコンバートすること」 |
佐藤 信(政治学) | 「経験の社会化とその陥穽」 |
清水美帆 / Danger Museum(アーティスト) | 「不確かさと向き合うこと」 |
陣野俊史(文芸批評家) | 「応答するということ」 |
杉田 敦(美術批評) | 「経験の政治」 |
田中功起(アーティスト) | 「言語格差についてのメモ」 |
照屋勇賢(アーティスト) | 「緊急時に始動する美術館」 |
沼下桂子(芸術表象) | 「経験していないことを経験するには」 |
林 葉子(ジェンダー史, 思想史) | 「〈ケアされた記憶〉を呼び起こす 反戦の思想として「ケア」を位置づけるために」 |
福士朋子(アーティスト) | 「S / N」 |
増本泰斗(アーティスト) | 「戦争体験を考えるための実験」 |
増本奈穂(パーティー研究家) | 「日常の負荷を体験するパーティー」 |
森田浩彰(アーティスト) | 「Mar. 11, 2011」 |
森村泰昌(美術家) | 「なにものかへのレクイエム(記憶のパレード / 1945年アメリカ)」 |
八幡亜樹(アーティスト) | 「生きることは「編集」すること」 |
吉田アミ(前衛家) | 「あなたとわたしとわたしたち」 |
The Academy of Alter-Globalization(アートトリオ) | 「あらゆる状況を作る切り紙キット」 |
Chi Too(アーティスト) | 「Are We Forgetting Somethings?」 |
Kyongfa Che & Jeuno JE Kim(キュレーター、アーティスト) | 「Interview with the Director of The Greece Gropers Foundation」 |
Roger McDonald(キュレーター) | 「経験の地平線」 |
ISBN:978-4-908323-01-0
発行日:2012年5月7日
形態:D4版タブロイド(406×272mm)、全32ページ
本体価格:500円
発行部数:1000部
企画・編集:Ra+制作委員会(飯島真理子、井上文雄、倉茂なつ子、齊藤哲也、杉田 敦、チェ・キョンファ、沼下桂子、原田 晋、本田浩子)